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私は、一人の駄目な学会員です
昔は、聖教新聞に三回載せて頂いたこともありました
大河グループの頃、学園時代の記念撮影、原田会長との地区座
現在は親に内緒で仏壇を閉めて
大石寺のほうに向かって、丑寅勤行とお題目をしています
創価のご本尊は拝んでいませんが
学会宣言、公明党のF、財務、本幹、聖教購読
などはやっているので、一応私でも学会員です
池田先生については、ネットに流れている情報を信じており
30年くらいで教えが変わってしまった人なので
750年以上も教えが生きている大聖人より
だいぶ下の人師だと思っています
しかし、宗教が社会に積極的にかかわることや
文化・教育の機関に寄付を行っていることについては好意的です
池田先生が活躍されているのはうれしく思います
私たちの財務で先生が勲章をもらっていたっていいんです
ユニセフに毎年10万寄付をしたって使い道はわからないけど
学会の財務なら、そういう形で聖教新聞で報告してくれるし
先生が関わった世界の偉人や教育文化機関が紹介されますよね
世界にはこういう人がいて歴史があったんだと
本来知る機会もないことを勉強できますし
財務を通して貢献に参加できることはありがたい事です
でも本尊は駄目!
日達上人に楯突いたり、本門寺改称を反故にされて
日顕上人に反逆したのは駄目!
池田先生を宗教人としてはみてないけど、
社会運動の人としては尊敬できるって感じです
こういう学会員がいてもいいのでしょうか?
幹部に相談してもいいのですが、三時間説教コースですよね
私はそれをありがたいと思いますが、親や地区に迷惑かけるのでできません
会員に指導する唱題の心構え
1、大宇宙のリズムに自分の小宇宙を合致させるのが勤行唱題
2、師匠である先生と呼吸を合わせることが大事で
池田先生にお応えするんだ!という一念で唱題しなければならない
3、いくら送信機が立派でも受信機が壊れていてはだめだ
先生は私たちのためにお題目を送ってくれています
この信心指導は正しいのでしょうか?
まず1の大宇宙のリズム説について
日淳上人のご指南
「元来かような考へは南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるから
でありまして宇宙に遍満する妙法の理が題目であるとするからであります。
此れは大変な誤りで南無妙法蓮華経は仏身であります。」
日顕上人のご指南
「『宇宙に遍満する法のリズムに我々が合致する』
などと言っておるようですが、あれは大変な間違いです。
むしろ、大聖人様の仏法に対する冒涜(ぼうとく)であります。
法といっても、それは大聖人様の久遠元初の
御当体としての自受用報身の一念に具わる法なのです」
創価の指導は外道天魔の説、異流儀って感じですね。情けない
どうしてこうなっちゃったんですか
2の池田先生と呼吸を合わせるお題目説について
日達上人のご指南
「最近、ある人の顔を浮かべて唱題をしている人たちが
いるようなことを聞きました。これはとんでもない間違いです」
御戒壇様(日蓮大聖人)!という気持ちでお題目を唱えて
功徳の果報である六根清浄を目指して修行していけばいい話なのに
師匠にお応えするとか、何か漠然としたものを間にいれるから
池田先生の顔を思い浮かべる事態になるのです
3の送信機・受信機にいたっては
池田本仏論スレスレのオカルトじみた指導なので
さすがにこの説は、創価内でも次第にピークアウトしており
私の親は、これが書かれた信心指導の張り紙を撤去しています
創価の中では、池田先生を師匠だから、師弟不二だからといいますが
日淳上人のころから信心で異流儀を唱え
間違った指導をする人がどうして師匠になるのかわかりません
唱題という基本の時点で、自ら大宇宙がどうとか言い出し
御法主上人のお言葉に背く人は用いるべき人師ではないので
ご本尊様と私たちの間に挟んではいけないと思いますが
どうなのでしょうか
先輩学会員の方、どなたか教えてください
私が間違ってるんですか?