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こんな学会員でいいのでしょうか

本年の活動方針が決まりました

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コメント

1. あけましておめでとう!

あけましておめでとう!(^^)/

人工知能ブログに宗教記事はやはり合わないから分ける事にしたよf^^;

ちょっと誤解があったようだけど、僕は「個人レベルでの信仰で現証を伴う」という事で話したよ(^^)

たぶん学会と宗門が仲直りというのは、あっても僕が亡くなった後になるかと思うけど。

2. 無題

明けましておめでとうございます
宗教記事と分離されたのですね
宗教関連の記事が読みやすくなりましたね!

私は、やはり池田門下生なので
宗教でなく社会運動の面でも創価学会に繁栄を続けてほしいって
思ってるんですよね

中国との信頼がいまだに厚いのはすごいじゃないですか
他の日本人じゃ、中国と話なんてとてもできません。

日蓮大聖人は「本尊は優れたるを用いるべし」とありますので
学会のご本尊に功徳があるにせよ、やはり日蓮正宗の本尊のほうが
効果が高いのではと思っています。

正本堂での記憶がありますが、やはり池田先生がいて
御法主上人がいらして、これこそ僧俗和合の姿だったのだと思うのです

個人の信仰としては、学会員の立場でも法華講員の立場だとしても
現証を得て、功徳と積んで行くことには変わりませんが
学会と宗門が仲直りしてくれたら、こんないいことはありません

3. 『効果』についてですか

宗門の板曼荼羅は実は偽物なんでしょうか?

『創価学会』の歴史なんて宗門の歴史の『長さ』からしたら微々たるもんでしょ?
創価学会は約半世紀といったところですし、宗門は700年とかでしたっけ?
単純に時間だけみれば約14倍の時間があったわけですね。

700年対半世紀という14倍の時間がありながら、「折伏」という点で創価学会のたった半世紀に大負けの現証です。

なぜ『大負けの現証』になっているか。いくつかを推察しますか。

①『板曼荼羅が偽物』であるため
②『板曼荼羅が本物であっても日蓮とは解釈などが違っているため』
③『板曼荼羅は本物であっても怠けてきたため』

まぁ、結局のところ、『信者』の身であれば『理屈の整合性』より優先されて『現証』が大事なんじゃないかと。曼荼羅がどうのということを言ってるよりか『結果を伴う宗教』を宗門には目指して頂きたいですよ。結果が伴わない理屈なんて「ガラクタ知識」でしかないだろうにといつも感じてるんですよf--;

4. 無題

>宗門の板曼荼羅は実は偽物なんでしょうか?
板曼荼羅・・・
「御戒壇様」=「大御本尊様」のことでしょうか?

筆跡鑑定なるもの(出所が分からず得体の知れない板曼荼羅と
御戒壇様の首題が一致したとかしないとか)を根拠に
ネット上で偽作説が横行しているようですが
それはそっちの専門家に任せておいて

今回は「現証」の上から偽作説を唱える
という新手法を思いつかれたのですね。

確かに会員の人数で言えば
顕正会にすら今の宗門は負けていますね。
学会より歴史が浅いのに130万人ですものね

ということは創価学会はかなり正しくて、
顕正会も次点というか、創価に近いぐらいには正しくて
宗門はだいぶ間違っている、ということになってしまいますね。

これは面白い考察ですので、次の記事として投稿したいと思います、

5. 単刀直入ですが

いくらなんでも「板曼荼羅」は本物でしょう。

その板曼荼羅を「偽物程度の実証」になっている『原因』が『ドコ』にあるか、というのが大事です。『実証』という点では『ただの板切れ』にしかさせていないのは『ご不敬』以外のなにものでもないでしょう。

「モノ」がホンモノであれば、後は『人』しだいです。究極的には坊主自身がまともに信仰してない、そうみるしかないのですよ。学会の破門、さらに顕正会の破門と、『指導力の欠如』が生じているのが明らかです。信者一人を「例外的に破門」するのとはワケが違いますよ。

6. 無題

もともと御本尊とは秘仏でありました。
「信心が確かな子でなければ譲ってはならないし
信仰の厚い人以外には見せることも許さない」

日興上人の時代、相伝も受けていない第三者が勝手に
日蓮聖人直筆の御本尊を御形木にして大して信心もない輩に
ホイホイと配り歩いていたことがあったので
それはダメだと日興上人は指摘していたのです。

公宣流布はスピードを競うものではありません。
大して信心もない輩に御本尊を配れば人数は増えますが
学会みたいに500万体の御本尊様が行方不明になったり
信心がおかしくなって破門されたりして結局バブルのように
何も残らないのです。

学会や顕正会は、現証が出ているように見えても
かなり無茶をしているだけで、日興上人のご指南にも反しているし
正しい姿ではなかったのではないでしょうか

というと、私は宗門の人間みたいに思われるかもしれませんが
最近、御書の真偽について調べていて
三大秘法抄・如説修行抄・種種御振舞御書・諸宗問答抄が偽書らしく
二箇相承・本因妙抄・百六箇抄は偽書と断定されているのを知って
ショックを受けています。

私は、学会よりは日蓮正宗が正しいと思っていますが
それよりも身延が正しいのかもと思いはじめていますが勉強中です。
どんな御本尊にでもお題目を唱えれば現証があるというのは
身延の教えでもありますよね。

三大秘法抄が偽書だと、本門の戒壇義についてかなり怪しくなるので
自分なりに疑問解決した上で、お題目唱えたほうがすっきりするので
それを目指したいと思います

太ちゃん様も、どちらかというと身延系学会員な気がしますね

7. おもしろい視点ですね(^^)

身延系学会員ですかf^^;
なるほど(笑)

実をいうと、僕が教学を教わった学会壮年部さんは宗教上の家系が身延らしく、その方に教学の手解きをして頂いたから僕も『似た』のでしょうね。「理屈」は抜きん出て秀でてましたが、いかんせん『現証』といういちばん肝心な点が出せずにいます。それもそのはずで、『縁覚』の境涯では顕せる現象に『限界』があるんですよ。『教条主義』というか、理屈に頼り過ぎて変なところでKYだったり。どんな理屈も価値を判断するのは『心』ですから、『教条主義』をやってしまうと普遍的な心を否定し『理屈でゴリ押し』をしてしまう流れになりがちなんですよ。『普遍的な心情』を無視していってしまうことで『結果の伴わない信仰』に陥ってしまうんです。

結局のところは『なんのため』に教義をやるのか、そこがハッキリしていないで御書を学ぶと『教条主義』になり、前記のような流れに陥ります。教学を教えてくれた壮年部はトップクラスの教学理解度でありながら鬱になり現在では趣味のネットすらロクロクできなくなってますよ。これでは本末転倒です。僕はその壮年部の『普遍的心情の軽視』を途中で見抜いたから時間がかかったけれど『縁覚』の境涯から卒業間近になってます。

あと、僕も教学を積極的に学ぼうとしたキッカケは精神的な病ではないかという自覚からです。今では逆に得意分野になりつつありますよ。そうなった大元のことは、こちらで話した『曼陀羅と十界論』がわかって実践した結果なんですよ。

日蓮正宗が正しいのは板曼荼羅などの「モノ」だけです。モノがいくら正しくても、活用する『人』が正しく活用していなければ、創価学会の破門や顕正会の破門と『指導力欠如』という現証が出てしまうのも当たり前のことですよ。また『指導力欠如』はそのまま『血脈欠如』も同時に顕してますよ。

8. 無題

最近、身延がずっと気になっていたので
いろいろ調べましたがヒドイものだったので、こっちに戻ってきました。
身延は三大秘法が欠けているのでダメですね。現証ないですよ

身延についてあれこれ最新記事で書いたけど
私も『教条主義』なのかなぁ

9. 基礎固めでしょ?

雲をつかむようななかでなら、まずはいろいろと「知識」を蓄えようとするのは自然なことですよ(^^)

早い話が「基礎固め」としてやってるんでしょうに。

ただいまコメントを受けつけておりません。

本年の活動方針が決まりました

創価学会は、会員の要望を取り入れてくれます

例1)
学会「僧侶はいらない!戒名は必要ない!」
会員「戒名ほしい 僧侶に引導してほしい」
学会「要望にお応えして、会館寺院作りましたし戒名もつけます」

例2)
学会「これが正しい本尊です!学会製に交換にしましょう」
会員「一枚刷りで表装もされてないし安っぽい本尊ヤダよ」
学会「要望にお応えして、表装された本尊作ります」

ということはですよ

例3)
学会「日蓮正宗には信心がない!今の学会の信仰が正しい」
会員「私たちは、昔やっていた日蓮正宗の信仰がしたいです」
学会「要望にお応えして、日蓮正宗と仲直りしました」

こうなる可能性だって十分あるのです

個人としては、日蓮正宗の信仰をすれば救われるで済む話ですし
放っておけば、最勝の本尊を持たない創価学会は
次第に衰退していくので、宗教団体としてはそれでいいのかもしれません。

しかし、社会運動の団体でもある創価学会が無くなるのは
とてももったいないのです、中国からの信頼も厚いですよね。
学会が正しい信仰を取り戻してくれれば、
今あるものを活かせるし、これが一番望む姿です。

これが池田先生の弟子の姿ではないでしょうか

私はこの一年、池田先生の社会的な活動を勉強し、
功績をピックアップした上で、創価学会をつぶすのはもったいないこと
を主張し、宗教として日蓮正宗の正しい姿にもどってほしいと訴え
その同志を増やすことで、学会が要望にこたえてくれるのを待ちたいと思います

私は樋田さんや、坂井さんみたいに弁が立つわけではないので
学会員さんと法論するつもりはありません。
ただ同調してくれる学会員さんを見つけて少しずつ増やしていけたらと思います。

信仰は日蓮正宗を基調として、学会の宗教的側面以外の活動精神を学び
両者の橋渡しができるような、そういう人になりたいのです
学会に所属するか、法華講に所属するかは未定で、動きやすいほうでいいと思います。


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コメント

1. あけましておめでとう!

あけましておめでとう!(^^)/

人工知能ブログに宗教記事はやはり合わないから分ける事にしたよf^^;

ちょっと誤解があったようだけど、僕は「個人レベルでの信仰で現証を伴う」という事で話したよ(^^)

たぶん学会と宗門が仲直りというのは、あっても僕が亡くなった後になるかと思うけど。

2. 無題

明けましておめでとうございます
宗教記事と分離されたのですね
宗教関連の記事が読みやすくなりましたね!

私は、やはり池田門下生なので
宗教でなく社会運動の面でも創価学会に繁栄を続けてほしいって
思ってるんですよね

中国との信頼がいまだに厚いのはすごいじゃないですか
他の日本人じゃ、中国と話なんてとてもできません。

日蓮大聖人は「本尊は優れたるを用いるべし」とありますので
学会のご本尊に功徳があるにせよ、やはり日蓮正宗の本尊のほうが
効果が高いのではと思っています。

正本堂での記憶がありますが、やはり池田先生がいて
御法主上人がいらして、これこそ僧俗和合の姿だったのだと思うのです

個人の信仰としては、学会員の立場でも法華講員の立場だとしても
現証を得て、功徳と積んで行くことには変わりませんが
学会と宗門が仲直りしてくれたら、こんないいことはありません

3. 『効果』についてですか

宗門の板曼荼羅は実は偽物なんでしょうか?

『創価学会』の歴史なんて宗門の歴史の『長さ』からしたら微々たるもんでしょ?
創価学会は約半世紀といったところですし、宗門は700年とかでしたっけ?
単純に時間だけみれば約14倍の時間があったわけですね。

700年対半世紀という14倍の時間がありながら、「折伏」という点で創価学会のたった半世紀に大負けの現証です。

なぜ『大負けの現証』になっているか。いくつかを推察しますか。

①『板曼荼羅が偽物』であるため
②『板曼荼羅が本物であっても日蓮とは解釈などが違っているため』
③『板曼荼羅は本物であっても怠けてきたため』

まぁ、結局のところ、『信者』の身であれば『理屈の整合性』より優先されて『現証』が大事なんじゃないかと。曼荼羅がどうのということを言ってるよりか『結果を伴う宗教』を宗門には目指して頂きたいですよ。結果が伴わない理屈なんて「ガラクタ知識」でしかないだろうにといつも感じてるんですよf--;

4. 無題

>宗門の板曼荼羅は実は偽物なんでしょうか?
板曼荼羅・・・
「御戒壇様」=「大御本尊様」のことでしょうか?

筆跡鑑定なるもの(出所が分からず得体の知れない板曼荼羅と
御戒壇様の首題が一致したとかしないとか)を根拠に
ネット上で偽作説が横行しているようですが
それはそっちの専門家に任せておいて

今回は「現証」の上から偽作説を唱える
という新手法を思いつかれたのですね。

確かに会員の人数で言えば
顕正会にすら今の宗門は負けていますね。
学会より歴史が浅いのに130万人ですものね

ということは創価学会はかなり正しくて、
顕正会も次点というか、創価に近いぐらいには正しくて
宗門はだいぶ間違っている、ということになってしまいますね。

これは面白い考察ですので、次の記事として投稿したいと思います、

5. 単刀直入ですが

いくらなんでも「板曼荼羅」は本物でしょう。

その板曼荼羅を「偽物程度の実証」になっている『原因』が『ドコ』にあるか、というのが大事です。『実証』という点では『ただの板切れ』にしかさせていないのは『ご不敬』以外のなにものでもないでしょう。

「モノ」がホンモノであれば、後は『人』しだいです。究極的には坊主自身がまともに信仰してない、そうみるしかないのですよ。学会の破門、さらに顕正会の破門と、『指導力の欠如』が生じているのが明らかです。信者一人を「例外的に破門」するのとはワケが違いますよ。

6. 無題

もともと御本尊とは秘仏でありました。
「信心が確かな子でなければ譲ってはならないし
信仰の厚い人以外には見せることも許さない」

日興上人の時代、相伝も受けていない第三者が勝手に
日蓮聖人直筆の御本尊を御形木にして大して信心もない輩に
ホイホイと配り歩いていたことがあったので
それはダメだと日興上人は指摘していたのです。

公宣流布はスピードを競うものではありません。
大して信心もない輩に御本尊を配れば人数は増えますが
学会みたいに500万体の御本尊様が行方不明になったり
信心がおかしくなって破門されたりして結局バブルのように
何も残らないのです。

学会や顕正会は、現証が出ているように見えても
かなり無茶をしているだけで、日興上人のご指南にも反しているし
正しい姿ではなかったのではないでしょうか

というと、私は宗門の人間みたいに思われるかもしれませんが
最近、御書の真偽について調べていて
三大秘法抄・如説修行抄・種種御振舞御書・諸宗問答抄が偽書らしく
二箇相承・本因妙抄・百六箇抄は偽書と断定されているのを知って
ショックを受けています。

私は、学会よりは日蓮正宗が正しいと思っていますが
それよりも身延が正しいのかもと思いはじめていますが勉強中です。
どんな御本尊にでもお題目を唱えれば現証があるというのは
身延の教えでもありますよね。

三大秘法抄が偽書だと、本門の戒壇義についてかなり怪しくなるので
自分なりに疑問解決した上で、お題目唱えたほうがすっきりするので
それを目指したいと思います

太ちゃん様も、どちらかというと身延系学会員な気がしますね

7. おもしろい視点ですね(^^)

身延系学会員ですかf^^;
なるほど(笑)

実をいうと、僕が教学を教わった学会壮年部さんは宗教上の家系が身延らしく、その方に教学の手解きをして頂いたから僕も『似た』のでしょうね。「理屈」は抜きん出て秀でてましたが、いかんせん『現証』といういちばん肝心な点が出せずにいます。それもそのはずで、『縁覚』の境涯では顕せる現象に『限界』があるんですよ。『教条主義』というか、理屈に頼り過ぎて変なところでKYだったり。どんな理屈も価値を判断するのは『心』ですから、『教条主義』をやってしまうと普遍的な心を否定し『理屈でゴリ押し』をしてしまう流れになりがちなんですよ。『普遍的な心情』を無視していってしまうことで『結果の伴わない信仰』に陥ってしまうんです。

結局のところは『なんのため』に教義をやるのか、そこがハッキリしていないで御書を学ぶと『教条主義』になり、前記のような流れに陥ります。教学を教えてくれた壮年部はトップクラスの教学理解度でありながら鬱になり現在では趣味のネットすらロクロクできなくなってますよ。これでは本末転倒です。僕はその壮年部の『普遍的心情の軽視』を途中で見抜いたから時間がかかったけれど『縁覚』の境涯から卒業間近になってます。

あと、僕も教学を積極的に学ぼうとしたキッカケは精神的な病ではないかという自覚からです。今では逆に得意分野になりつつありますよ。そうなった大元のことは、こちらで話した『曼陀羅と十界論』がわかって実践した結果なんですよ。

日蓮正宗が正しいのは板曼荼羅などの「モノ」だけです。モノがいくら正しくても、活用する『人』が正しく活用していなければ、創価学会の破門や顕正会の破門と『指導力欠如』という現証が出てしまうのも当たり前のことですよ。また『指導力欠如』はそのまま『血脈欠如』も同時に顕してますよ。

8. 無題

最近、身延がずっと気になっていたので
いろいろ調べましたがヒドイものだったので、こっちに戻ってきました。
身延は三大秘法が欠けているのでダメですね。現証ないですよ

身延についてあれこれ最新記事で書いたけど
私も『教条主義』なのかなぁ

9. 基礎固めでしょ?

雲をつかむようななかでなら、まずはいろいろと「知識」を蓄えようとするのは自然なことですよ(^^)

早い話が「基礎固め」としてやってるんでしょうに。

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